新成人を祝う

2014年1月14日 20時03分 | カテゴリー: 活動報告

今年の成人式は寒さは厳しいけれど晴天でひと安心。新成人からも東日本大震災や福島第一原発事故のことを触れる発言がありました。果たして、大人になることに誇り、希望、期待をもって成長できる社会なのかを、まず私たち自身に強く問わなくてはいけません。

狛江ネットでは市民とともに子どもの権利に関しても学習しています。日本では権利というと義務とセット、「義務を果たさない人間に権利はない」と堂々を言われると「そうかな」と納得していまいそう・・・。「権利は何の条件もなく権利」であり、但し書きをいれるなら、「他の人の権利も同じように認め尊重する」ということでしょうか。

高橋市長はお祝いのメッセージとして去年に続き、人は誰しも一歩一歩死に向かって生きていることについて言及しました。めでたい席で死ということばを用いること自体、憚れるし、死を語ったり、語り合ったりすることは日本ではたいへん難しいことです。しかし、何のために生きるのか、どうして生まれてきたのかを考えない人間はいないはずであり、それと同時に人は意識的、無意識的に死について考えざるをえない存在です。私のもっとも尊敬する人物、紀元前のギリシャ人哲学者ソクラテスは「人生は死への準備である」と言い、それは現代にも何の古臭さなく普遍的に通用します。ですから、ハードルの高い厄介な永遠のテーマを勇気をもって語る機会にしたことにエールを贈りたいです。

小学校教諭の川松泰美(やすみ)さんは『「小学生の子どもたちに「あなたたちがいちばん知りたいことを授業でやりたいけど何が知りたい?」と聞くと学年にかかわらず「どこから生まれたの?」「死んだらどうなるの?」など、圧倒的に生と死への関心がうかがえます。どちらも自分の存在にとって根源的な問題です。死んだ後のことは教えようがなく、死について一緒にただ考えるのみです。また、生についても学校の教科にはありませんし、家庭でも学ぶ機会に恵まれているとは言えません。』と子どもたちが生と性の正しい知識を身につけられることの重要性を訴えています。向き合うべき時に向き合うべき問題があるのに、敢えてそれを逃して見過ごしてくれるように望んでいるのが成熟していない日本社会の問題ではないでしょうか。若いということは特にいっぱいまちがってもよい特権があります。若者よ、大人社会の醜さや矛盾に切り込んできてください!(そして、大人を許すことをもっとまじめに学ぼう)