被害者と加害者の境目

2013年6月30日 22時30分 | カテゴリー: 活動報告

ここ数日の新聞をみると、『習志野市で高校の教室で同級生を刺した高2男子。練馬区で下校中の小学生を切りつけた47歳職業不詳の男性。本庄市で病死した母の遺体をコンクリート詰めにして年金で生活していた53歳無職の男性。日の出町で横断中の小2男児が60歳女性の乗用車にはねられ死亡。横須賀市では80代の女性が息子を装った男らに2800万円の詐欺の被害に。』といったことが目に飛び込んできます。戦争永遠に放棄し軍隊も持たない平和な日本にあっても毎日予期せぬ悲惨な事故や事件が起こり、多くの尊いいのちが失われています。そのたびに「何の罪もない」「気の毒」「二度と起きてはいけない」「なぜ」と理不尽で怒りと悲しみでいっぱいになります。

一方で被害者と加害者の境はどこだろうと考えてしまう私がいます。極悪非道な人だけが罪を犯すわけではないし、極悪非道な人が必ず罪を犯すわけでもない。よく言われるのは『人間が生まれた時悪人がいるのか』という問いです。這えば立て立てば歩めで誰もが愛されて成長します。だから、どんな人の人生、生命も平等、誰しも人に必要とされて生きて行きたいはずです。権力を持つ強いものは罪にならず、大きい犯罪ほど罪が問われない、それどころか英雄と讃えられることすらある。歴史上現在にいたっても世界で普遍的なことです。小さき市民は権力者にこそ立ち向かい、質すべきです。幸せに暮らせるように全力で環境を整えよと。犯した罪が全人格の否定と排除になってはいないかと私たちはそのことにこそ最も注意深くなるべきで、人を責めることやなじることに躍起になっては大切な何かを見失ってしまいます。以前狛江市に来て講演をしてくださった松本サリン事件の被害者河野義行さんの慈愛深きことばと表情を思い出しながら、どうしたら、生まれた平等な生をどの人も十分に輝かせて生きれるのか、改めて考えています。