ひきこもりや不登校に関する講演会で学んだこと

2012年6月10日 23時26分 | カテゴリー: 活動報告

東京も梅雨入り、晴れてたら雨晴両用の日傘を持って歩こう!

 先週の2日、東京都主催の斎藤環氏の講演会「ひきこもりの若者が求めているものー家族にできること・できないこと」に参加しました。まず600人ほどの人が来ていることに『ひきこもり』の問題の関心の高さ、深刻さを感じました。控えめなデータ60万人の倍いるのではないかと推察され、個人の病理、心理のみでは片付けられない社会現象なのです。青年が未熟化する中、反社会的ではなく非社会的になることで“治安”はよくなったものの、適応できない若者たちの居場所は家庭になり、その対応が遅れてしまいました。
 昨日は不登校の経験を乗り越え、大学生、浪人、職業訓練校という道を歩んでいる10代、20代の5人の若者の話を聞く機会に恵まれました。そのうち3人が進学校出身でした。行きたくない学校だったけど親の言うことに従った、学習の進み方が早く休んだら取り返しがつかないと焦ったなど痛々かったです。そしてある日、体が動かなくなった、朝起き上がれなくなったというのです。繊細で傷つきやすい思春期の子どもたち。弱いわけでもずるいわけでも怠けているわけでもない!!
 不登校とひきこもりは連動しています。「手のかからないよい子」だった男性にひきこもりが多いといいます。なんとなくひきこもり、理由はない場合もありますが、自力で立ち直る例は皆無、放っておいてはすまないそうです。けれど!お説教や正論は役に立ず、「働かざるもの食うべからず」という考えの人はひきこもりの人の支援に関わるべきではないときっぱりの斎藤先生。寄り添うという考え方で「本人が安心してひきこもりれる環境をつくること」が家族にできることだそうです。誰でもそうですが、承認欲求が満たされて初めて人間は行動開始するもの、社会参加は元気だからできるというものではない・・・マズローの欲求5段階説が論理的裏付け、合理的理由となっているというのですが(私も含め)食うために働くことはなくなっている!?確かに戦前・戦中の日本人とは人間的な質が違っていると肌で感じるもんなあ。
 目からうろこの講演会は霧が晴れた爽快さ、不登校の体験をした子どもたちの優しさと立ち直るタフさに希望が見えた気がしました。