どうなる?大人の都合に振り回される日本の子どもたち

2010年3月31日 22時30分 | カテゴリー: 子ども

『ゆとり教育と決別』で学力向上よりやらなければならないこと

 卒業、入学シーズンにいつも感じていたことを議員として式典にして参加し、やっぱり同じことを思ってしまいます。「何で、校長先生や役所や教育委員会の人は壇上で卒業する児童生徒に対して、成功した(している)スポーツ選手や宇宙飛行士や偉い医者や命を賭けたジャーナリストとかの話をするんだろう・・・」
 人間、ほとんどの人が名も無く生まれその生涯を閉じます。ささやかな人生を力いっぱい生きることが大切なのではないでしょうか。自分の頑張りが足りなかったとかこの世に自分は必要なのかとか、あんな壇上からの言葉で問い直したくありません。あの形だけのお祝いの言葉、告示、どうにか洗練された、心を動かすものにならないんでしょうか?静かにじっと聴いている児童生徒にはいつも感心してしまいます。そして、小学校で教育委員会からもらう英語の辞書!もういいかげん違うものにしたらどうでしょう。(ついでに小学校1年生が算数でちょこっと使うか使わないかのおはじきや棒、時計もただゴミになるだけ、みんなに配る必要なない。うちは3人3セット、心痛みつつ捨てました)
 教科書が厚くなり、考える力をつける方針らしいです。でも、現場の先生はそれを受け止める力量や精神的ゆとりや現実として時間があるのでしょうか。文科省も教育委員会も先生や子どもにもっと意見を聞き、現場を知らなければ・・・悲惨なことになります。学力向上より楽しく生活すること、笑うこと、食べること、遊ぶこと。まず、生きること・・・。根本が崩れそうな日本が見えた気がします・・・。

人権週間でもらった布バックを娘がかわいく変身させました。