医療は死をどう思っているのか

2007年7月9日 15時30分 | カテゴリー: 福祉

大切なのは寄り添う事 Not doing,but being

 7月8日(日)「自宅で安らかな死を迎えるために」という講演とパネルディスカッションがあり、行ってきました。記録映画作家、羽田澄子さん、81歳だそうですが、よく通るききやすい声とお話は心にも響きました。その後、在宅医療、終末期医療、訪問看護や介護の現場から、現役の医師、看護士、訪問介護員を加えて真摯で温かみと希望の持てる提案があり、会場の300人余りの参加者たちも熱心に聞き入りました。
 常々私は、“医療”’法律”“政治”ってどーしてこうも難しそうなコトバばかりを連発するのか?まるで偉〜い資格のある人だけの独占市場みたい・・・えっーそれってもしかしてそう思わせて好き勝手にしちゃおうってわけ?そりゃあ、ないでしょう、などと頭の中で文句いいまくってたんです。「どんな人にも必要だから、わかりやすくなきゃずるい!!」誰に向かって言えばいいのか、私はこう心の中でいつもしめくくってました。
 誰でもいつかは死を迎えます。それが病院に入ってしまうと口を出せない、手の届かない領域になっているのが日本。だって、ほとんどの医者は相変わらず説明しないのです。そして、目的は“延命”!?「医療は死をどう思っているのか」とは羽田さんの発言です。私自身も介護の仕事をしています。いつも感じるのは(お年寄りが多いのですが)皆さんの慎み深い態度、感謝の心、そして時を過ごしてきたことの人生の重み。いっしょにいると豊かな気持ちになります。出会ったことを誇りに思います。そんな私の思いを知っているかのように「生きてきたこと」に敬意を表すること、何かをするのではなく、ただ寄り添うことが大切というコトバが耳にとびこんできました。
 身近で遠い問題、古来からの永遠の命題、できるなら避けたいけど「生命は有限である」事実。このことを認められない家族が多く、一緒に考えていくのだと、パネリストの看護士がいっていたのが印象に残りました。

 PS 会場は私の母校上智大学だったのですが、この3−521 教室で一般教養の楽勝、経済学の講義を受けたことを懐かしく思い出しました。